テーマ:プロ野球

総合力で抜きんでた遊撃手 井端弘和

 井端ほど器用な選手は、これまで見たことがない。遊撃手だけでなく二塁手、三塁手、一塁手をすべて高いレベルでこなせる。瞬時の判断力に優れ、捕球から投げるまでが素早く、スローイングも常に正確。  特に2008年のクライマックスシリーズで見せた前進守備から6-6-3のダブルプレーは「なんという井端」という実況と共に語り草となった。  アラ…
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分かっていても打てない火の玉ストレート 藤川球児

 全盛期だけを比較すれば、抑えでは藤川球児と佐々木主浩が双璧だろう。  藤川のストレートと佐々木のフォークは分かっていてもバットに当たらないからだ。  回転数の多いそのストレートは、伸びが尋常ではなく、他の投手と比較しても20センチ程度上を通過するという。あたかもホップするように見えるのだ。  それでいて球速が150キロを超えてい…
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イチローに最も近付いた男 福浦和也

 2001年に打率.346で首位打者になったときには、イチローに近づける選手が現れたと思ったものだ。  その年から6年連続3割を達成し、日本を代表する安打製造機になった。さすがにイチローを超える存在にはなりえなかったが、イチローが大リーグ移籍後の日本野球を引っ張ったのは、まぎれもなく福浦だった。  体型や打席での雰囲気、振る舞い…
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一見の価値がある神主打法 中村紀洋

 中村紀洋の去就が今だ決まらない。2000本安打、400本塁打を達成した大打者であり、まだまだ1軍で通用する実力を持っているだけに、まだまだ現役を続けてほしいものである。  中村紀洋のバッティングは、一見の価値がある。バットを前に出して大きく構える神主打法からときに豪快に、ときに技術で流し打つ打法は一見の価値がある。最近の選手では…
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1990年代に横浜のエースだった斎藤隆

 私がナゴヤ球場で斎藤が中日を2安打完封した試合を見たのは、1996年5月のことだった。  それからもう20年がたとうとしているのに、斎藤は、楽天でいまだ現役投手として当時とほぼ変わらない速球を投げることができる。そのときの正捕手が谷繁だから2人とも、ここまで息の長い選手になるとは想像すらできなかった。  2006年に大リーグ挑…
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野球界の親分 大沢啓二

「親分」と言えば、大沢啓二の愛称である。「あっぱれ」「喝」「イラブクラゲ」など、巧みな発言でプロ野球を盛り上げた。  選手としての実績は通算501安打でしかないが、監督としては13年間も務めており、1981年に日本ハムをリーグ優勝に導いた。それでも、不本意な成績に終わって、グラウンドでファンに土下座する姿が焼き付いているのは、やはり大…
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球史に残る2人を育てた名コーチ 荒川 博

 荒川博は、選手としての実績は通算503安打、16本塁打でしかない。あの榎本喜八と王貞治を育てたコーチとしてはあまりにも低い実績だ。  しかし、名選手が名コーチになるわけではないように、平凡な選手が名コーチになる最たる例といえよう。  柴田勲や高田繁も、荒川がコーチとして育てていることから、V9はまさに荒川の手腕によるところが大きか…
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いてまえ打線の中核を担った熱血漢スラッガー T. ローズ

 2001年のローズと中村紀の3、4番は史上最強だった。瞬間最大風速としてなら、このときの2人を超えるコンビはいないだろう。  バットを後ろに寝かせたフォームからスムーズにバットを出して白球を乗せるようにして運ぶ打法は、一見の価値があった。あんなに素晴らしい打法なのに、ローズの打ち方をする選手がなかなか現れないということは、習得が難し…
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堅実な守備の理論家 仁志敏久

 仁志で思い出すのは、中距離ヒッターとしての打撃よりも、むしろ堅実な二塁の守備である。華麗というよりは、読みを働かせて確実に処理するその技術は優れていて、桑田真澄も高く評価していた。  小柄でありながらパンチ力があり、安打数も多かったが、3割を1度も超えたことがないというのは意外である。小さい体ながら巨人のレギュラーを長年務めたという…
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巨人が生んだヒットメーカー 清水崇行(隆行)

 巨人で台頭した安打製造機で、本塁打数が少ないながらも外野手としてレギュラーを張った。ミートの巧さは、2002年の最多安打や通算打率.289が示しているが、巨人でなければ、もっと長くレギュラーとして活躍できていたはずである。  それでも、毎年、他球団から有能な外野手が入ってくる中で10年以上レギュラーで活躍した事実は清水の実力を証明す…
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3球団を渡り歩いた豪快なスラッガー 江藤 智

 広島の主砲として、一時は山本浩二をも超える存在になるのではないかと感じたほど、豪快な本塁打を打ちまくっていた。前田、江藤、野村、緒方、金本と、当時の広島がいかに選手を育てる手腕に優れていたかが分かる。  巨人に移籍して、不調に陥ったらあっという間に干されてしまったところが非常に惜しく感じる。  ずっと広島にいたら、どんなすさまじい…
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近鉄最後の選手会長 礒部公一

 磯部と言えば、言わずと知れた球団再編問題で奔走した近鉄最後の選手会長としてのイメージが強い。  リーグ優勝した2001年にはローズ、中村紀の後ろを打つ5番打者として大活躍を見せた。あの年は、全員がクリーンアップのようなメンバーだったが、中でも実際のクリーンアップの力は突出していた。  最後まで近鉄という球団を残そうと奔走したが、時…
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史上最高のスイッチヒッター 松永浩美

 阪急が生んだ最後の大打者と言っても過言ではない。とにかく右打ちでも左打ちでも簡単にヒットを打てた。  打率を.326まで上げてロッテの高沢に追いつこうとしたとき、ロッテが恐れて松永に11打席連続四球を与えた事件は、プロ野球史上に永遠に残りそうな日本記録である。  ずっと阪急に残っていれば、通算2000本安打は簡単に達成していただろ…
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必殺ヨシボールを生み出した奥尻島の英雄 佐藤義則

 私のイメージとしては山田久志からエースを引き継いだ男だ。  指が短くてフォークボールが投げられなかったことから、親指と人差し指でフォークボールの握りで挟んで、フォークボールのように投げるヨシボールを開発。恵まれない手であるからこその知恵で息の長い活躍に結び付けた。  奥尻島での大地震の際は、佐藤の活躍が勇気づけたし、その2年後の阪…
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野球界の番長となったカリスマ 清原和博

 高校時代は、「甲子園は清原のためにあるのか」と評されたほど突出していた。清原以上の高校生は、前にも後にも出てこないだろう。  プロに入ったら三冠王を何回獲得するんだろうと末恐ろしさを感じたものだが、まさか無冠で現役を終えるとは思わなかった。それでも、500本塁打以上したのだから、運も味方しなかったということである。  プロ入りして…
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世界に誇るバントの名手 川相昌弘

 川相ほど自らの持ち味を出しきって選手生活を全うした人はいないだろう。  世界記録を樹立したバントは、本当に名手で、失敗するのはグラウンド状態が悪くバントが思ったより転がらなかったため、キャッチャーが二塁へ送球して間に合ってしまった、というアウトくらいなものだった。  遊撃の守備も、上手くて、巨人が強いのは川相の守備が安定していたか…
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選手としても指導者としても一流 水谷実雄

 現在では、前田智徳の師匠として有名だが、現役時代も、プロ野球界屈指の大打者であった。  死球によって大きく選手生命を変えてしまっており、そこも故障に悩まされた前田と通じるところがある。  加藤英司との世紀のトレードは、今でも実現したのが奇跡ではないかとさえ思えるほどだ。山本浩二、衣笠祥雄とともに、カープを初のリーグ優勝に導いた立役…
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心温かき燃える男 星野仙一

 星野は、選手時代も監督時代も熱血漢で、熱狂的なファンが多い。それは、決して強くないチームにいて強いチームに立ち向かう姿に多くの人々が共感するからだ。ここまで熱く野球をした選手は、前にも後にもいない。  選手として巨人のV9を阻止して優勝し、2013年には巨人を倒して楽天を日本一に導き、東北に勇気を与えた。星野にとっては、巨人は永遠の…
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偉大なる先駆者は村上雅則

 大リーグ挑戦の先駆者として語られるのは、いつも野茂英雄であり、エースとして輝かしい実績を残したという点においてはそのとおりなのだが、実は、その前の先駆者として忘れてはならないのは村上雅則だ。  村上は、南海からアメリカのマイナーリーグへ留学して、結果を出し続けて大リーグへ昇格してしまった。偶然の産物とはいえ、主に中継ぎながら昇格1年…
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太く短く駆け抜けた大打者 長池徳士

 本塁打王3回、打点王3回、シーズンMVP2回。これだけの実績を残しながら、意外にも通算安打は1390安打と少ない。まさに太く短く選手生活を駆け抜けた大打者である。  野村克也の連続本塁打王記録を止めたり、32試合連続安打を放ったり、と、全盛期の長池には、圧倒的な成績が並ぶ。  殿堂入りは、通算成績が重視される傾向があるが、やはり太…
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驚異のコントロール投手だった土橋正幸

 晩年は、プロ野球ニュースやバラエティーでもお馴染となった印象が強く、現役時代を知らない人も多い。  土橋正幸と言えば、驚異のコントロールである。何といっても、通算与四球率1.21は、ダントツである。  アマチュア時代は大作家となる井上ひさしとバッテリーを組んでいたり、日本シリーズMVPになったり、と伝説には事欠かない。故障により実…
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チームプレーで阪急黄金時代を築いた加藤英司

 三冠王を獲得する寸前だったのに、本塁打が2本足らずに逃している。本塁打王だけがどうしても獲得できないタイトルだった。通算347本塁打を放っており、本塁打王だけを狙えば獲得できただろうが、狙わなかったのは、あくまでチームバッティングを優先していたからだろう。本塁打王を獲得していないのに、打点王を3回獲得しているというのは、まさに勝つため…
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山田久志と並び立ったアンダースロー足立光宏

 アンダースローと言えば、山田久志と足立光宏である。  私がリアルタイムで見たいのは山田久志だけだが、山田と足立が両エースとして並び立っていた時代の阪急は、とてつもなく魅力的だったのだろうな、と容易に想像できる。  通算187勝と200勝には13勝届かなかったが、日本シリーズで巨人キラーとして名を知られており、大舞台に強い印象が…
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ブーマー・ウェルズはパリーグ最高の外国人選手

セリーグ最高の外国人選手がランディー・バースなら、パリーグ最高の外国人選手はブーマーである。私が阪急ファンになったのは、ブーマーと山田久志にほれ込んだからだ。 大きな体格に似合わず、器用な選手で、広角に打てるバッティングには定評があった。 本塁打を30本以上放ちながら軽く3割を超える打率を残すという打撃の達人で、1984年の三冠…
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毎日投げる大投手だった権藤博

2012年に中日の投手コーチとして、監督高木守道と事あるごとに口論していた印象がついてしまったが、現役時代は、2年連続30勝以上を達成した大投手である。 特にプロ1年目は、429回1/3を投げた脅威のスタミナを誇る。あまりの登板数に、雨の日以外は登板する、というイメージがつき「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」と風刺された…
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平松政次は弱小球団で通算200勝達成

ここのところ、野球殿堂入りしていない往年の名選手を紹介するブログになりつつある。 平松政次もその1人だ。何といっても甲子園優勝投手で通算200勝を達成したのは平松ただ1人である。 今後、松坂大輔や田中将大が達成する可能性を秘めてはいるが、日本だけで通算200勝を達成するのは平松のみとなりそうだ。 なぜそんな平松がまだ野球殿堂入…
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ランディ・バースは史上最高の外国人選手

野球殿堂候補は、見れば見るほど魅力的な選手が残っている。 中でも注目したいのがまずランディ・バースである。1985年の阪神をリーグ優勝に導いた立役者としてよく知られており、2年連続三冠王という快挙も記憶に残る。 さらに、1986年のシーズン打率.389は、未だに破られていない日本記録である。 阪神の不手際によって1988年途中で帰…
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榎本喜八も、いまだ殿堂入り候補

榎本がいまだ野球殿堂に選出されていないのは、何といっても現役晩年の奇行が世間にイメージとして残ってしまっているからだろう。ベンチで瞑想したり、バットでコーラや窓をたたき割ったり、という行動だ。 そのせいか、打撃技術と実績は、長嶋茂雄や川上哲治に匹敵する打者でありながら、世間の知名度は高くない。 しかし、榎本の奇行の数々を見ていくと、…
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それでも東尾修は殿堂入りした

東尾修が松坂大輔にアドバイスしたことが話題だ。松坂のプロ入団時の監督だっただけに、師弟関係と言ってもいいだろう。 東尾修と言えば、通算254勝の名球会入り投手であると同時に、西武の監督としてもリーグ優勝2回を記録している。 殿堂入りしてしかるべき成績なのだが、東尾は、1987年に麻雀賭博容疑で書類送検された負の経歴もある。 …
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野茂英雄には早くプロ野球で指導者を

古田敦也の殿堂入りのゲストスピーチで久しぶりに野茂英雄を見た。 大阪出身らしく、アマチュア時代の古田の貧打ぶりを暴露するなど、笑いをとっていた。 野茂は、近鉄を引退同然の扱いで当時、未開拓だった大リーグ挑戦を果たし、瞬く間にエースに登り詰めて長年活躍した。大リーグで2度のノーヒットノーランは、そう簡単に破ることはできない記録だ。 …
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